私は今この病気にとても悩まされている。
私の場合この病名を医者に宣告されたということはない。
断定されてしまったらもう後には引けないような気がするし、
実際いろいろと曖昧な部分が多すぎるのだ。
こういう病気は生まれながらにして持っているもので
誰かの影響とか憧れとかそんなことは一切ない。
だいぶ前この病気の疑いを自覚し始めたとき
少しだけネットで調べたことがあった。
「陰茎が生えてくると思い込む」という項目があった。
まさにこれだった。自分の記憶にもはっきり残っている。
ずっと思っていたのだ。憧れていたのだ。
なぜ自分には陰茎がないのかそれだけが不満で、
他の女の子たちも同じことを考えていると思っていた。
「私にはいつ陰茎が生えてくるの?」母にお風呂で何度も聞いた。
その時点ですでに私は自分の体に違和感を覚えている。
それはたぶん物心が付いた頃から小学校3年生ぐらいまで続いた。
その頃ちょうど兄が不登校になり、私はそれどころではなくなった。
兄の強い希望で父は単身赴任、私たちは引っ越すことになった。
小学校3年生の私にとってそれはあまりに腑に落ちない出来事だった。
元々転勤族だった私は父の仕事の都合で転校することを
当たり前のように受け止めることができるようになっていた。
でも父は転勤しないのだ。どうしても納得が行かなかった。
「お兄ちゃんが苛められたから?だからってなんで私まで転校しなくちゃいけないの?」
同じ言葉ばかりが自分の頭の中で反芻していた。
泣き喚きながらも結局転校することになって、
それから1年ぐらいはときどき思い出しては泣く日々だった。
そして私は6年生になった。この頃月経の存在を知る。
クラス中の女の子にもう月経は来たのか、どんな感じなのか、
興味津々で聞き回るというのが流行っていた。
私もその輪の中に入った。特に違和感は感じていなかった。
そして自分にもその瞬間が訪れたとき、恐怖を覚えた。
親にも言えず、赤飯は断固として拒否し、誰とも顔を合わせられなかった。
「みんなに訪れることなんだ。当たり前のことなんだ」
なんとか自分に言い聞かせて、明るく振る舞った。
でもどこかにしこりのように残る違和感はいつまで経っても消えなかった。
中学生になり、体育の授業のときなどブラジャーの話題がよく上った。
ここでも私はとてつもない違和感を感じることになる。
1日だけ我慢してブラジャーを付けて学校に行ったのだが、
気持ち悪くて、不自然で、どうしても我慢ができなかった。
急いで家に帰ってすぐに外した。今でも忘れられない。
どの事柄も今ではなんとか我慢できている。
でもやっぱり消えない。どこかに残っている違和感だけは。
私は恋を知らない。誰のことも愛おしく思ったことがない。
私の心は男性だと思う。でも女性に恋をしたりはしない。
男性の自由奔放でなんとなく呑気なところを見ていると羨ましく思う。
そして時折恨めしく思う。そして、仲良くなりたいと思う。
だけどそれは恋とは違う。友達として仲良くなりたいのだ。
気のおけない男友達になりたいのだ。
どこか無責任で気の向いたときだけ振り向かれる同姓の友達に。
私は一体誰に愛を注ぎ、注がれることができるのだろう。
女の上に跨ることも、男の下で喘ぐことも私には想像できない。
以前私はいろんなことが積み重なってストレスとなり、母の前で泣いた。
そのときなぜか性同一性障害の話になって、そのことを打ち明けた。
母は完全なる女だ。見ているこっちが苛々するほど、母は女なのだ。
そして一生私の気持ちを理解することなどできない。
母は私の話を真剣に聞いたあと、否定するように言った。
「じゃあどうして髪を伸ばすの?男っぽい服装をしないの?」
そんな表面的な問題ではないのだと、私は大声で否定したかった。
でも自分が病気だと認めるのが怖かった。
その表面的な部分に少しでも女としての心が残されているのなら、
私は女でいたいと思った。心と体の不一致による違和感はつらい。
どんなことを考えていても必ずそこに行き着いてしまう。
その違和感から解放されるのなら、私は女でいたいと思った。
でもそんなことは到底無理な話だったのだ。
髪を伸ばしたり、女の子っぽい服装をするのはその少しの可能性に縋る気持ちだ。
髪に関してはどうでもいいことだし、さほど気にはならない。
その「どうでもいい」と思っているところが男性的な部分だと思う。
服装に関しては自分自身相当無理をしていると思う。
最近はその無理がもうつらくて、パンツとTシャツのラフな格好しかしなくなった。
スカートを穿く自分をここまで嫌悪する自分を感じて、「もう逆らえないのだ」と思った。
そんなとき、私は母に衝撃的な一言を吐かれることになる。
母と一緒に「ユグドラシル」を聴いているときのことだった。
「車輪の唄」を聴いて母は「これは一体何が言いたい曲なの?」と言った。
私は「よくわからない。ただの恋の歌じゃないの?」というような返答をした。
「BUMPは歌詞がいいんだから、歌詞見てみなよ」歌詞カードを差し出した。
しばらく母はまじめにその歌詞を読んで、「なんだ、これだけの歌じゃん」と言った。
「淡い初恋を書いた歌だよ。たまにはこういうわかりやすいのも書きたかったんじゃない?」と続けて言った。
「恋」とか「愛」という言葉が私は嫌いだ。よくわからないからだ。
それは私が未熟だからじゃない。問題は「性」から始まるのだ。
到底理解できそうもない。男も女も愛せない、中途半端な私。
だから私は母に「淡い初恋を書いた歌」だと言われ、「もうやめて」と思った。
そして「この曲をいいと思うなんて信じられない」と言った。
少しの沈黙のあと「私はこういうのも好きだけどね。だって私女の子だもん」母は当然のように言ってのけたのだ。
「はは、何言ってんの」無意識で出た言葉だった。渇いた笑いだった。
しばし沈黙が続いた。私は考えていた。「家を出よう」
母に性同一性障害かもしれない不安を抱えていることを話したときから
多少なりとも私に気を遣ってくれてるのだと思っていた。
実際気は遣ってくれているのだと思う。
だけど一向に表面には男性的な部分を見せない私を、
またただの女の子だと思い、そして思い込みたい母がいた。
私はその場で泣き出したい気分だった。でも…「男が廃る」と思った。
男なら明日の朝突然もぬけの殻になっている方がかっこよくないか?
でも私は行動に移さなかった。パソコン教室のことがあるからだ。
母に10万もの借金を残して家出するなんて後味が悪くて仕方ない。
だけど、私の気持ちを理解してくれる人はここにはいない。
きっと私はいつまで経っても結婚などしないだろう。
そのときの不安そうな母を黙って見ていられる自信がない。
冗談混じりに彼氏のいない私をからかう母の口調が
どこか不安に満ちている気がして、私は笑い返せない。
私の本当の居場所はない。中途半端な性を受けたせいで、見つからない。
これが果たして性同一性障害なのか、それともただの思い込みなのか、
私にはわからない。でも思い込みであって欲しいと願う。
何度も願いたくて、でも願い切れなかった思いを、
私は今でも願っていたいと思う。それが例え無意味な願いでも。
嗚呼、こんな考えを繰り返す私は、吐き気を覚えるばかりだ。
どこまでも続く、長い迷路にはきっと出口なんてない。
男と女に挟まれて私はこれからも生きて行かなければいけない。
考えただけで吐き気がする。私はこの思いを誰にも打ち明けられない。
唯一打ち明けた母には見放され、もう希望など見えない。
今日の夕方、性同一性障害の特集をやっていた。
その番組を見たら少しは希望が見えるのだろうか。
自分が男なのか女なのか、断定できるだろうか。
私の心は不安に満ちている。…吐き気は消えない。