だれかのいとしいひと

だれかのいとしいひと (文春文庫)

だれかのいとしいひと (文春文庫)

「負け犬予備軍必読!」の言葉に惹かれて買ってしまった私って一体…(笑)。
でも、正直「これを読めば負け犬にならない!」って本ではなかった。
登場人物はみんな不器用だったし、最後まで不器用なりに生きていた。
文章はとても読みやすかったし、おもしろかったです。
でも救われるかと言ったら別に救われる内容ではない。
まー、だからと言って絶望ってわけでもないけど。
結局不器用は不器用なりに生きていくよ!って思った(笑)。
★★★☆☆


で、石田衣良の「スローグッドバイ」を買いました。
なんかおかんが前に買ってたような気もするけど、読みたかったので。
まだ20ページぐらいしか読んでないけど、やっぱりおもしろい!
石田さんの恋愛小説読むのって実は初めてかもしれない。
娼年」も恋愛小説と括れば読んだことあるけど。
なかなか続きもおもしろそうです。もちろん会社で読み進めます(笑)。
「だれかのいとしいひと」読んで小説書きたくなったのでちょっと書いた。


正直あんま…な内容なので、読みたくない人は読まない方がいいかも。


「例え話」


例えば、と切り出すのが好きだ。
それは私の口癖でもなんでもなくて、ただ意味もなくその言葉は頭の中で反芻される。
それに続く言葉はいつも違っていて、絶対に答えなんて見えないものばかりだ。
例えば、こんな風に私の人生が続いて行くのは必然なんだろうかと人生について問うのはおかしいか。
例えば、冬の海に行けば誰もが寒いからという理由だけで海に入りたがらないのか。
例えば、恋人に振られて悲しいとき絶対に涙を流されなければいけないのか。
結局のところ、この例え話は私の本当に言わんとしていることとはかけ離れていて、
私は自分の思考回路にいつも失望してしまう。
そしていつしか何を考えていたのかも忘れてしまう。
またそのうち波がやって来て私の頭の中をぐちゃぐちゃにしたかと思うと、引いて行く。
言葉は、声を超えられないと思う。
私は、しゃべる。歌う。泣く。笑う。怒る。
絶対的にその行為は例え話より頻繁に行われて、私が声を出している限り
頭の中で変な例え話に結び付くことはないのだ。
そんなことを考えていた。ただの例え話のために。
だから「例えば」が口癖の人に出会ったとき、私はびっくりした。
同時に、惹かれてもいた。
でも、彼の例え話にも結局のところ答えはなかった。
出会ってすぐに気付いたけれど「例えば」と軽々しく口にする彼が愛しくて、
私はいつも「例え話をして」とせがんでいた。
彼は最初こそ不思議そうな顔をしていたが、次第に二人の秘密の例え話に夢中になって行くようだった。
例えば、山で遭難したら。本当に神様がいたら。私たちが結婚したら。
この例え話に罪はなかった。
誰を傷付けているわけでもないし、二人でただの例え話に興じているだけなのだから。
もし私たちがこの会話の中で殺人を犯していたって、それは罪ではないのだ。
しかし、私は次第に飽きて来てしまった。
彼の例え話にいつまで経っても答えが見えそうもないからだ。
それで?それで?と深く追求するうち彼も嫌気が刺したようで、
「君が何を考えているのか、何を求めているのかさっぱりわからない」と言って家を出て行った。
愛などなかったと思う。
言葉が声を超えられなかっただけだ。
誰かが頭の中で「例えば」と切り出したときだけ、その言葉が聞こえればいいと思う。
そうすれば、私は望む相手の元へまっすぐ走って行けるのに。


終わり


「例えば」が好きなのは本当ですが、あとはほぼ全部フィクションです。
例え話に答えが出ないのも本当だけどね。それにしてもまとまりのない文章だ。